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其の四 『共通因数』 -見て踊って、解いて楽しむ-

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数学で日舞する!?


其の四
『共通因数』
-見て踊って、解いて楽しむ-


<村>
そういう動きは見る人が見たらわかるわけだけど、なるべく見えないようにやる訳だよね。隠してる訳。
逆にバレエなんかは露骨に見えている。西洋のものはタンクトップや短いスカートはいて露に見えるように、煽るようにするよね。
われわれはなるべく隠す。それを逆手にとったのが舞踏だと思うわけ。
体の作り方自体はバレエに似てないわけではないんだけど、面白いところは舞踏も秘しているところがあって、例えばお酒を飲む時など僕たちはいかにもお酒を飲んでいるというようにやるけど、舞踏はそれがわかっちゃいけないのね。動き自体の純粋性を求めるために、かえって隠すわけ。水がこぼれないために歩いてるとしたら、僕らではいかにも水が入っているように見えるのが褒め言葉だけど、舞踏はそれがわかっちゃいけない。何だかわからないけど面白い動き。秘してる部分があるわけ。出典を隠す。そこが非常に日本的だね。やってることがどこかで分からない方がいいんだ。

<柳谷>
なるほど。
それは危険なところがあるでしょう。
秘してるところをあんまり追求しちゃうと、難しさが目的になって表現がわからなくなっちゃう。
謎解きをしなさいということになっちゃうと…。

<村>
そうそう。
とっかかりがなくなっちゃうと少し難解になる。

<柳谷>
ちょっと自己満足みたいな。

<村>
われわれは90パーセント以上物真似見立てなんだけど、物真似しつくしちゃって、具体をやりつくしちゃって抽象に抜けるというようなね。

<柳谷>
本来抽象ってそうですよね。具体を通り越して抽象になっていく。
そうすると、僕たちはわかりやすい。 

<村>
そうだよね。

<柳谷>
数学は数を扱うより「X」を使った方がわかりやすい。

<村>
皆「X」の方が難しいと思うけどね。

<柳谷>
そこの「X」に「1.253462」という数が入ったら嫌でしょ。

<村>
嫌だよ。
そんなものは絶対嫌だよ。(笑)

<柳谷>
抽象化というのは、本来やさしくなきゃいけないんで、そこで難しくなっちゃうのはまずいんです。

<村>
今の日本舞踊の創作ってまさにそれで、観念的になろうとする時代がしばらくあって、最近そうではなくなってきてはいるんだけど、おどり自体が具体的なものを水っぽくしているの。
例えば水色って絵の具があったらなるべく水を足して薄くする。そういうような感じ。

<柳谷>
それじゃ水色だってわかんない。

<村>
僕たちの場合は徹底して物真似は、何か飲んでるなら、あれは酒だな、ビールだなというのがわかる。
それを徹底してやってフッと抜けちゃうのね。
するとビールだか酒だかわかんないけど、それがすごく美しく見える。
最初は、ビールだ、酒だ、本当に飲んでるみたいだぁと感動するわけよ。ところがね、もっといくとね、もうそれを超えちゃうんだよね。
そのこと自体が面白いんだよ。もう飲んでようが何してようがいい。

<柳谷>
飲んでるという世界が全てそこに入るわけでしょ。

<村>
そう。入っちゃう。
それで人間が何か口につけてること自体の喜びが出ちゃったりね。

<柳谷>
数学と同じです。
整数があったり色んな数があったり、それと同じ性質をもつ式があったり、それを全部集めると同じ性質だけをとりあげたのが数学の代数という分野。
それで出来上がったものは守備範囲全部に成立する訳ですよ。だから代数ってけっこう綺麗なんですよ。

<村>
なるほど。

<柳谷>
ただ、お芝居の時には水を飲んでいるのか、酒を飲んでいるのかわからないとまずいじゃないですか。
これは目的ですよね。
僕たちが数を扱っているのか、関数を扱っているのか、同じように扱うことは僕がやってる世界ではできないから、それは目的によるわけで、でもそれをやるためには、さっきの構造だけをやってる人の力も借りる訳。

<村>
なるほどね。
あと、日本舞踊でいうと何々づくしというのがあるのね。
眉を引く。三味線を引く。お琴を引くとか、こういう一種の因数分解が日本舞踊ではしょっちゅうおこっているわけね。
因数分解の中の()の外に出ている数…。

<柳谷>
共通因数。
何にでも使う。どこにでも使う。

<村>
この共通因数が読めるかどうか。
それを意識して踊るかどうか。

<柳谷>
全体に通っているテーマ。

<村>
ひく物を集めためでたさやシャレというテーマが読めるかどうかで踊りって面白くもまずくもなるのね。
今は()の中のうまい人はいっぱいいる。それぞれ振りがうまい人ね。
ところがね、これを意識してないんだね。共通因数を意識しないで踊っちゃってる。

<柳谷>
一つの点だけ見ているということですよね。
集合全体を見ていない。分解した一カ所だけしか見てないから全体が見えていない。

<村>
そう。
これは一番分かりやすい何々づくしという例で話をしたけど、本当はづくしがない、「藤娘」でも「浅妻」なんて踊りでも、ここで何を踊ってるんだっていう因数分解ができないと、日本舞踊はつまらなくなる。

<柳谷>
なるほど。
大きなテーマがあってそれを一つ一つのパーツにわけて表現する。
それで最後にまとまってこれだったんだってことですよね。
それは全体が見えてるかどうか。
余計な衣装を途中で着たりすると、そこんところで全然違う集合に入っちゃったりする。

<村>
そう。
おどりの稽古って()の振りを細かく教わるから、この部分だけもの凄くうまくなっちゃうの。
そのために共通因数を忘れちゃうの。
だから、汐汲見てて、何の踊り?って(笑)それぞれ綺麗だったって。

<柳谷>
動きがそれぞれ綺麗だった。

<村>
綺麗だ上手だで終わり。
例えばいかにも嬉しそうだったわねとかいかにも松の木だったわねという褒め方はあるけれど、シャレとか飛躍とか喜び、悲しみなど仕掛けやテーマ全体が立ち上がってこない。
僕は日本舞踊にはそういうある種の数学が入っていかないと…これは簡単な言葉でいうと演出だと思うんだよね。作品を読む力や演出が入っていかないと、いい踊りがこれからできてこないんじゃないかなと思う。

<柳谷>
それはわれわれでも同じですよ。
だって昔の人は何かを解決しようと思って数学つくったわけじゃないですか。
だから、例えば教科書の中に微分しなさいって問題がありますが、微分しなさいっていうのは問題として成立しないんですよ。だって微分の練習なんだから。
村さんが一個づつはうまいと言ったのは、微分しなさいと言った時に微分だけはできる事ですよ。
だから学校の教科書で問題を解いて僕は数学の点数がいいから数学科へ行こうと大きな誤解をするのと同じことなんですね。

<村>
うんうん。

<柳谷>
それでね、全体がわかるようになればもちろんいいですよ。
だけどそこまでいかないわけですよ。
だからじゃあ何のために微分するのっていうのが先じゃなくって、何か問題に自分があたった時にこの問題は微分を使うとうまくいくんじゃないのっていうのと、汐汲の踊りの時には今まで習ったこの技術とこの技術とこの技術を使うと、うまく心が表現できるよねっていうことですよね。

<村>
微分のことは自分で!!

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