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其の一 『どう見る??どう見せる?』 -舞台の視点は遠近法?

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数学で日舞する!?


其の一
『どう見る??どう見せる?』
-舞台の視点は遠近法?-


<村>
うちの季刊誌では毎回数字のことを書いていただいていたんですが、今回は核心に迫るということで、数学で舞踊を解いていただこうと。

<柳谷>
二点透視とか一点透視とか遠近法とかあるじゃないですか。
美術で絵を描く時にはキャンバス上だから水平線が大事というのはあります。
でもそれはあくまでもキャンバス上でのことで、舞台ではどこから見ても皆に綺麗に見えるとはどういうことなのかということが、大問題なんです。
舞台はキャンバスと違って奥行きがある。
だから理論がないんですよ。踊り手が少し位置を変えるだけでもう違う。
遠近法を舞台で考えるとどうなるのかということは今回の季刊誌で私が書いたものしかない(笑)

<村>
なるほど。
絵画というと二次元の世界ですよね。
二次元で如何に三次元の世界を表現するかということですよね。
柳谷氏の今おっしゃっていることは、三次元のものを二次元に表現したときにどう美しく見えるかということでいいですか?

<柳谷>
そこからはじめないと、資料がないといいますか。どう見えるかというきっかけがつかめない。
一点透視は単なる遠近法なんですが、二点ですと空間の話もできるわけです。

<村>
二点透視とか一点透視とはどういうことですか?

<柳谷>
一点透視とは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が遠近法の基本なんですが、無限の彼方が一点に収束される。
電車の線路の彼方を見ると2本の線がくっついちゃう。

二点透視は、ビルを遠近法で書こうとする場合など全体を一点に収束させちゃうと変な絵になっちゃう。
そこでこっちとこっちから見た人の両方の目線を一緒にしてあげるということ。
それで若干リアルな形になるわけですが、二点透視は難しく、基本的に舞台をそれで設計するのは無理だと思います。

さっき言った水平線が大事というのは、そこで目線が地面と平行になっているからです。
さらに、その水平線の上に、平行線が遠くで一つに見えるようになる点があるわけです。それが遠近法の消失点なんです。
だから目線と同じところにまず水平線を引かなければいけない。
そして舞台を見る時も基本的に目線の先に水平線があるということは、キャンバスの上でも同じですね。
まあ舞台の見え方でいえば、俳優、演者がどれくらいの存在感を持つかということに、目線の位置が関わってくる。

歌舞伎の舞台は遠近法を使ったというふうに言われているんですが、
1メートル先に見てる物が10メートルくらいさきにあるように、本来こっちが感じなきゃいけないんですが、
それは理屈であって、有限の長さのところに無限の長さを入れちゃってるわけだから、後ろのほうは足りない。
キャンバスの上に描くのは無理。
そうするとどうするかということになる。

大道具さんのうまい人なんかは例えば「源氏店」なんかで、戸と壁が直角になっていない。
遠近法を使って斜めに立てている。
そうすることで、上手のお客さんは自分の正面から出入りしているように見え、下手のお客さんは戸の内側と外側が見えますから、両方とも意味をもって見られるようになる。
また、「鳴神」の雲絶間姫が坂を上って行く時などは、あの形だと本当に歩けばすぐ滝に手が届いちゃうじゃないですか。
そこのところで演者がニ歩進んで一歩下がったり、一歩進んでニ歩下がっているのに、ずっと進んでいるように見えるのは動きの遠近法です。
動きによってそこに無限の長さを描く。
図形で遠近法を入れるのと、役者の動きで遠近法を入れるのと、二つの方法がある。
これをうまく組み合わせているのが舞台の中の構図です。

<村>
なるほど。

<柳谷>
人間の身体は両手を上げると、脚のつま先と手の先を結ぶと正三角形になります。
だけどこれは綺麗に見えない。だって不安定だから。

<村>
逆三角形だから。

<柳谷>
そう。倒れちゃいそうですね。
それに対称性があまり強すぎると、高貴には見えるけれど心は伝わらない。という欠点があります。

<村>
なるほど。左右対称だから。

<柳谷>
今言った正三角形が綺麗だというのは、対称軸がいっぱいあると、それだけ綺麗なんです。
正三角形は頂点と底辺の中心を結ぶ線対称。
正三角形の中心を120度回すと元の正三角形に戻る。これも数学では対称と言います。120度の回転に対して対称。
こういう図形は綺麗に見えるんですが、あまり心が伝わらない。
仏様の三尊像の場合には、計ってないのに左右対称。

<村>
真ん中が大きくてね。

<柳谷>
うん。
左右にいらっしゃる脇侍の方の着物まで、計らず左右対称に彫刻家がつくれるんです。
高貴で近寄りがたい。お助けしていただけますでしょうかという気持ちになる。
人間が踊るときにそれでいいのか。
本当に綺麗に見えるには、手は60度に上げるのがいいんですが、普通お客様は舞台より少し下にいらっしゃるからちょっと腕は下げ気味に上げた方が綺麗に見える。

<村>
一階席の場合は下にいますね。二階席や三階席がある場合はまた違う。

<柳谷>
そうですね。
下から見る場合は体の線と腕の線で見ますが、上からの場合、首の線と腕の角度が大事になる。
そうするとどうなるかというと、上から見るとやはり角度が鋭角に見えちゃうので、やっぱりちょっと下にした方がいいんじゃないか。

<村>
うんうん。

<柳谷>
下から見る方が角度の変化の度合いが大きいように僕には見える。
どこにキャンバスをおくかが難しいのではないかと思います。

<村>
うんうん。
今の歌舞伎や日本舞踊の場合、前側にしかお客さんがいないからまだ平面で分かる。
だけど、能などの場合横にもお客さんがいて、相当立体的に見える。けっして平面的ではない。

<柳谷>
そうですね。

<村>
だから四方に柱があって、それを目指してやるような演技。
中心から45度の演技というのがどこから見ても美しい。後ろから見ても実は美しい。

今の歌舞伎や日本舞踊の場合は極端に言うと前方から見たら美しければいい。
六代目尾上菊五郎が「羽根の禿」を踊った時に、相当の年齢にも関わらず前から見たら腰が折れててとってもかわいい子供。
でも後ろの三味線弾きから見たらなんて格好してるんだと。このことは歌舞伎や日本舞踊ならなりたつけれど、お能だとなりたたない。
そういう違いがあります。

<柳谷>
ありますね。

<村>
それと先ほどの遠近法の話ですと、能舞台の松の鏡板の一番下の一寸ぐらいのところが松の幹が描かれておらず空白になっているんですね。
舞台は三間、後座を入れて四間。鏡板の松の幹を下につけてしまうと四間ですが、空白によって四間以上の奥行きが出る。
そういう工夫をしていたり、橋懸かりも一の松から順番に低くなって遠近を出したりしている。
そのへんが、歌舞伎の場合は錦絵みたいな。
書き割りなんかも非常に平面的。
世話物になると遠近法をとっています。
歌舞伎舞踊でも遠近法で描かれている舞台背景とそうじゃない背景が混在している。(笑)

<柳谷>
それは江戸時代の舞台の絵を見ると、遠近法の消失点を自分の後ろにもってくるんですよ。
普通は消失点を前にもってくるんです。そうすると奥の絵がどんどん向こうに行ってしまうわけです。
だから逆にものを強調したければ消失点を観客席の後ろに持ってくる。

<村>
なるほど。

<柳谷>
そうすると逆の線を引くことになり、向こうにいくと狭くなる線を引くんじゃなくて、手前にくると狭くなる線をつかう。
そうすることで強調される。

<村>
じゃあこういうことかしら。
上下の一番端っこの方が高くて、中は低く描かれるということ。

<柳谷>
そういうことです。
レンブラントを大先生だと思っているフェルメールは遠近法をつかって、絵を写真看板のように描いているような人。
天才だから本当にその通りに描いたら変な絵になるってわかってるからやりませんが、遠近法を逆にして、テーブルの脇の線が自分の方に向かって細くなっていることで、テーブルの上の果物を強調する。
その線を使うと、前に踊っている人と後ろに踊っている人で、後ろの人を強調することもできる。

<村>
そういうことですね。

<柳谷>
例えば弁天小僧が屋根の上であおり返されて落ちるシーン。
舞台が遠近法になってないと思うんですよ。
両側を垂直に切って後ろの方を細くしているの。間口を広く。
ちょっと後ろで演技しますよね、それを前に見せる工夫なんじゃないかと思うんですね。

<村>
なるほどね。
屋根があおり返しになると山門になる。

<柳谷>
そのように、どこで役者さんが演技するのかを意識して昔から大道具さんは作ってたんじゃないかと。体験で。

<村>
そうだ。体験なんだよ。

<柳谷>
今だとこうやって話しますけど、昔の大道具さんは数学のこととかできないし、遠近法とか言いませんけれども、そういう技術を自分で編み出したり。
東海道の広重。あれは山がないのに山があるように描いている。

<村>
うんうん。

<柳谷>
こっちからこう見えているとき、こっちからはどう見えているかという描き方がもうできあがっている。
広重さんはだいぶ後の時代の人だから、歌舞伎の大道具さんの人達がそういう絵を描くというのはすごい人達だなぁと。
法隆寺立てた宮大工さんも微分積分知らないわけですから。それであの反りをつくる。雨の水がものすごい早く落ちるようになっているんですよ。

<村>
なるほど。

<柳谷>
今だと我々は遠近法とか言えますが、あの時代のひとはそういうことは知らないから、こうやってこうやるんだと代々教えてたんじゃないかなと。
数学をやるということはどういうことかというと、そんなに才能のない人でも、すごい天才じゃなくても、頑張れば今までの人がやったことを自分でもできるようになるという役割が一つあるんですよ。
昔の人は遠近法を考えないでやっていたわけですから…。有限に無限の長さを入れるなんて考えないもの。

<村>
そうですね。

<柳谷>
そして仮に無限の長さを入れても、遠近法の通りに描いたらとんでもない絵ができちゃうわけですから、人間の目で見て自然にみえるように調整していくわけです。
それが素晴らしい。

           「其の二」>>

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